2008年04月14日
でたがりsakura
えっと、そんなに言うほど大ニュースではないのだけれど・・・
アラブの大富豪と婚約ってタローさんは言うけど
まだ知りあってもいないし、
類は友を呼ぶって言うからこの先も出会うことはない!と思えるし・・・
まっ期待させて引っ込みがつかない感じもしてきちゃったりしますが

私の中ではビックニュースなのでノークレームでお願いいたします(笑)
17日(木)OBSラジオの「ごごらくワイド」に出させていただきます。
16:10ごろに登場予定です。
出たがりですから。。。
あがりませんから。。。。
楽しんでこようと思います。
17日はアイドル(なんのや?)なみにスケジュールが詰まっていて
こんな感じです↓
10:00~11:30 津久見の保育園
13:00~14:20 佐伯でベビーサイン体験会
16:10~16:20 OBSラジオ
16:30~18:30 本部教室レッスン(小学生)
19:00~20:30 本部教室レッスン(中学生)
OBSに間に合うのか?
ですがそのあたりもお楽しみいただければいいんじゃないでしょうか。。
さっ、そんなことより明日に控えたベビーマッサージのケーススタディに
これからまじめに全力を傾けて練習します。
ご協力してくださる方たち明日はよろしくお願いいたします。
明日の湯布院のお教室はOpen B.B.ですよ。
みんな一緒、16:30~スタートです。
アラブの大富豪と婚約ってタローさんは言うけど
まだ知りあってもいないし、
類は友を呼ぶって言うからこの先も出会うことはない!と思えるし・・・
まっ期待させて引っ込みがつかない感じもしてきちゃったりしますが

私の中ではビックニュースなのでノークレームでお願いいたします(笑)

17日(木)OBSラジオの「ごごらくワイド」に出させていただきます。
16:10ごろに登場予定です。
出たがりですから。。。
あがりませんから。。。。
楽しんでこようと思います。
17日はアイドル(なんのや?)なみにスケジュールが詰まっていて
こんな感じです↓
10:00~11:30 津久見の保育園
13:00~14:20 佐伯でベビーサイン体験会
16:10~16:20 OBSラジオ
16:30~18:30 本部教室レッスン(小学生)
19:00~20:30 本部教室レッスン(中学生)
OBSに間に合うのか?
ですがそのあたりもお楽しみいただければいいんじゃないでしょうか。。
さっ、そんなことより明日に控えたベビーマッサージのケーススタディに
これからまじめに全力を傾けて練習します。
ご協力してくださる方たち明日はよろしくお願いいたします。
明日の湯布院のお教室はOpen B.B.ですよ。
みんな一緒、16:30~スタートです。
2008年04月14日
Mr.じゃん公
昨日、PCにセットしたDVDが取り出せないまま今日を迎えたsakuraです。
DVDは正しくセットされていなかったので入りたくないと拒否、
仕事しろとばかりに私が指で押しこんだみたいです
↑ その自覚さえないアホぶりがいつもどおりですがなにか?
ブログネタにして自分を嘲笑っていたらお助けマンMr.じゃん公sakapaさん現る。
PCのお客様係さえ身捨てた私に手を差し伸べてくれる人なんて滅多にいない。
なんていい人なんだと感動していると「少しは見習いましょうね」とerieriさんの影の声。
今朝、道に迷うといけないので近所のコンビニにお迎えに行きました。
そこへ・・・・どっかで見た事ある人が・・・・
じゃん公青年会会長イヌヒさん。。もちろん通りすがり・・・

こんなところで偶然会うなんて・・きっと私たち赤い糸で結ばれて・・・・・
話を最後まで聞かずに君は店の中へ逃げるように消えていった。。こらこら。
照れてるのね、ふっ・・・
そしてsakapaさんを我が家にご案内。でっかい一体型PCと格闘の末
見事DVDは私の手に。試験間近な私にとってはものすごく必需品だったので
本当に助かりました、ありがとうございました。

これからはしつこいくらいチェックしてDVDを見るようにいたします。
私にできるお返しが何にもないことが恐縮の極みです。
パパスランチでもごちそうさせてくださいね、sakapaさん。
さわやかに手を貸してくれる人がいるから私はなんとか自立しているふりして
生きていけてるんだなぁと珍しく謙虚になれた今日の出来事でございました。
今夜、sakuraとっておきビックニュースがありますゆえに
是非夜のブログもチェックして見てくださいね。
(私ってブログ休むって言ってなかったかな?まっいいか)
DVDは正しくセットされていなかったので入りたくないと拒否、
仕事しろとばかりに私が指で押しこんだみたいです
↑ その自覚さえないアホぶりがいつもどおりですがなにか?
ブログネタにして自分を嘲笑っていたらお助けマンMr.じゃん公sakapaさん現る。
PCのお客様係さえ身捨てた私に手を差し伸べてくれる人なんて滅多にいない。
なんていい人なんだと感動していると「少しは見習いましょうね」とerieriさんの影の声。
今朝、道に迷うといけないので近所のコンビニにお迎えに行きました。
そこへ・・・・どっかで見た事ある人が・・・・
じゃん公青年会会長イヌヒさん。。もちろん通りすがり・・・

こんなところで偶然会うなんて・・きっと私たち赤い糸で結ばれて・・・・・
話を最後まで聞かずに君は店の中へ逃げるように消えていった。。こらこら。
照れてるのね、ふっ・・・
そしてsakapaさんを我が家にご案内。でっかい一体型PCと格闘の末
見事DVDは私の手に。試験間近な私にとってはものすごく必需品だったので
本当に助かりました、ありがとうございました。

これからはしつこいくらいチェックしてDVDを見るようにいたします。
私にできるお返しが何にもないことが恐縮の極みです。
パパスランチでもごちそうさせてくださいね、sakapaさん。
さわやかに手を貸してくれる人がいるから私はなんとか自立しているふりして
生きていけてるんだなぁと珍しく謙虚になれた今日の出来事でございました。
今夜、sakuraとっておきビックニュースがありますゆえに
是非夜のブログもチェックして見てくださいね。
(私ってブログ休むって言ってなかったかな?まっいいか)
2008年04月14日
消せない思い出①
消滅したブログの記事の中には心の中でいつまでも留め置きたい思い出がある。
うっかり者というよりはおっちょこちょいがぴったりくる私はその思い出のブログを
あっさりと消してうぇ~ん
という気持ち。
そこでまだ大切にとってあるlivedoorのブログから
ちょっとずつ引っ張ってアップすることにしました。
えぇ、その手はじゃん公に来た時に使ってたのですけどいいよねぇ~
ちょっと手抜きですけど手抜きって好きですからぁ。
まずは足跡をたどる旅-海外編から。

(素敵な人)
イギリスに住んでいた頃、一人暮らしのアパートに泥棒が入って物騒だったので
友人の紹介でハウスシェアの同居人を探している人たちの面接に行きました。
日本では考えられないでしょうが新聞広告で同居人を探して大き目のアパートや
一軒家をシェアして家賃や光熱費をそれぞれが負担して暮らします。
アパートに住む前は女性ばかりでシェアして暮らしていましたが
同居人たちは家事の分担を守らないばかりか生活にルーズな人ばかりで
ストレスになり一人暮らしを始めたいきさつがあったので
面接されるというより自分が面接するつもりでいきました。
一軒家は広い庭付きの一戸建て。
ハーブが風に揺れるおしゃれな家でした。
玄関を通されるとそこには男性が3人。
へっ?全員、男!ハーレムじゃん!奥から年配の女性がひとり。
合計4人で私の値踏みが始まったようです。
一時間後、私はそこに引っ越すことを決めていました。
イギリスに住んでいてイギリス人とはなんとなく肌が合わない感じがしていました。
ところが彼らは開放的でとても気さくな人たちだったのです。
イギリスに暮らして馬鹿笑いしたのは久しぶりのような気がしました。
えっ~、見知らぬ男の人たちと暮らすのぉ~って思ったでしょう、
実は彼らは3人ともみんなゲイでうち二人はカップルでした。
そしてこのとき一緒に暮らした4人は私のかけがえのない大切な人たちになりました。
おしゃれに疎い私に爪の手入れの仕方や
フットケアのやり方を教えてくれたのはJohn。
恋の悩みを聞いてやり、失恋するたびに二人でパプに出かけては悪態ついてました。
彼から学んだ多くのことのうちもっとも大切なこと、
総ての人は自分と違う、自分を受け入れてもらいたかったら
わだかまりなく人を受け入れることだということ。
今、児童英語講師養成講座で先生を目指す人たちに
彼が私に言ってた言葉を繰り返しています。心の垣根を低くして。
たくさんの人を受け入れなさい。
彼の口からマイナスや後ろ向きの言葉は聞いたことがありませんでした。
いつも人に優しく、暖かい人。そうなりたいといつも、いつも思っていました。
その彼が亡くなって今年で12年。
いまでも自分の苦手なタイプの人などに出会ったりすると
全部の引き出しを開けてみるまで好きか嫌いか
決めてはだめだよという彼の声が聞こえます。
今の仕事に不可欠な心の持ち方を私に教えてくれた素敵な人でした。
(国民を守る政府)
一年も暮らさなかったけどオランダに住んでいたとき
激しい暴風雨に見舞われたことがありました。
山のない海抜ゼロのオランダ。
荒れ狂う風はイッキに海へといろんなものをなぎ倒して吹き抜けていきます。
恐ろしいというしか言いようのない夜を過ごしたことがありました。
ひとりアパートで震えていると警察の人が来て
避難するのでついて来いと手招きします。
外には警察だけでなく軍の人たちも一杯いてトラックに乗って避難所に行きました。
そこにはカーテンで仕切られた簡易ベットがあって
外国人である私にもきちんと私だけの場所がありました。
ベットの上には食料と水が用意されていました。
日本で阪神淡路大震災にあいました。
日本という国は個人の能力に頼るところが大きくて政府も役所も当てにはなりません。
避難所での暮らしもその後の生活も個々の人間のできる範囲でしか対処できない。
確かにお金が支給されたり、プレハブの住居を作ったり無ではなかったけれど
いかにも取り合えずという後手後手に回る取り組み方でしかなかったように思います。
生きていくことに必要な最低限の安全の確保なども個人の仕事でした。
避難所にいない人たちは食料も飲み物も総て自分の力で手に入れます。
また避難所での暮らしはプライバシーなどというものは皆無で皆ダンボールで
仕切ったに過ぎない空間で必死に生きていました。
その後起こった松本サリン事件で多くの人にとって
地震はすでに過去の出来事になっていってしまいました。
もし今後、もっと大きな災害に見舞われることがあったらそういう想定をしながら
自分で生き抜かなければこの国ではやってはいけないのだとあの地震で学びました。
先進国アメリカもまた日本と同じだったのかと
今回のハリケーンのお気の毒な被災者の方々を見て思いました。
あの小さな国オランダから学ぶことはたくさんあります。
未来を予見して、傷を大きくしないために最低限のものを準備しておく暮らし。
確かな行動力。地球温暖化の影響で様々な自然災害増え、
また各地で大きな地震も起きています。その災害の規模は年々大きくなるばかりです。
子どもに関わる仕事をしていて明日独りぼっちになるかもしれない時代を
生きているにも関わらずのんきに暮らしている私達は厳しい次の時代を
生きていく子ども達に自立の精神を叩き込む必要があるなぁと
アメリカから送られてくるニュース映像を見て実感しました。
オランダは守る価値のある美しい国でした。
うっかり者というよりはおっちょこちょいがぴったりくる私はその思い出のブログを
あっさりと消してうぇ~ん

そこでまだ大切にとってあるlivedoorのブログから
ちょっとずつ引っ張ってアップすることにしました。
えぇ、その手はじゃん公に来た時に使ってたのですけどいいよねぇ~

ちょっと手抜きですけど手抜きって好きですからぁ。
まずは足跡をたどる旅-海外編から。

(素敵な人)
イギリスに住んでいた頃、一人暮らしのアパートに泥棒が入って物騒だったので
友人の紹介でハウスシェアの同居人を探している人たちの面接に行きました。
日本では考えられないでしょうが新聞広告で同居人を探して大き目のアパートや
一軒家をシェアして家賃や光熱費をそれぞれが負担して暮らします。
アパートに住む前は女性ばかりでシェアして暮らしていましたが
同居人たちは家事の分担を守らないばかりか生活にルーズな人ばかりで
ストレスになり一人暮らしを始めたいきさつがあったので
面接されるというより自分が面接するつもりでいきました。
一軒家は広い庭付きの一戸建て。
ハーブが風に揺れるおしゃれな家でした。
玄関を通されるとそこには男性が3人。
へっ?全員、男!ハーレムじゃん!奥から年配の女性がひとり。
合計4人で私の値踏みが始まったようです。
一時間後、私はそこに引っ越すことを決めていました。
イギリスに住んでいてイギリス人とはなんとなく肌が合わない感じがしていました。
ところが彼らは開放的でとても気さくな人たちだったのです。
イギリスに暮らして馬鹿笑いしたのは久しぶりのような気がしました。
えっ~、見知らぬ男の人たちと暮らすのぉ~って思ったでしょう、
実は彼らは3人ともみんなゲイでうち二人はカップルでした。
そしてこのとき一緒に暮らした4人は私のかけがえのない大切な人たちになりました。
おしゃれに疎い私に爪の手入れの仕方や
フットケアのやり方を教えてくれたのはJohn。
恋の悩みを聞いてやり、失恋するたびに二人でパプに出かけては悪態ついてました。
彼から学んだ多くのことのうちもっとも大切なこと、
総ての人は自分と違う、自分を受け入れてもらいたかったら
わだかまりなく人を受け入れることだということ。
今、児童英語講師養成講座で先生を目指す人たちに
彼が私に言ってた言葉を繰り返しています。心の垣根を低くして。
たくさんの人を受け入れなさい。
彼の口からマイナスや後ろ向きの言葉は聞いたことがありませんでした。
いつも人に優しく、暖かい人。そうなりたいといつも、いつも思っていました。
その彼が亡くなって今年で12年。
いまでも自分の苦手なタイプの人などに出会ったりすると
全部の引き出しを開けてみるまで好きか嫌いか
決めてはだめだよという彼の声が聞こえます。
今の仕事に不可欠な心の持ち方を私に教えてくれた素敵な人でした。
(国民を守る政府)
一年も暮らさなかったけどオランダに住んでいたとき
激しい暴風雨に見舞われたことがありました。
山のない海抜ゼロのオランダ。
荒れ狂う風はイッキに海へといろんなものをなぎ倒して吹き抜けていきます。
恐ろしいというしか言いようのない夜を過ごしたことがありました。
ひとりアパートで震えていると警察の人が来て
避難するのでついて来いと手招きします。
外には警察だけでなく軍の人たちも一杯いてトラックに乗って避難所に行きました。
そこにはカーテンで仕切られた簡易ベットがあって
外国人である私にもきちんと私だけの場所がありました。
ベットの上には食料と水が用意されていました。
日本で阪神淡路大震災にあいました。
日本という国は個人の能力に頼るところが大きくて政府も役所も当てにはなりません。
避難所での暮らしもその後の生活も個々の人間のできる範囲でしか対処できない。
確かにお金が支給されたり、プレハブの住居を作ったり無ではなかったけれど
いかにも取り合えずという後手後手に回る取り組み方でしかなかったように思います。
生きていくことに必要な最低限の安全の確保なども個人の仕事でした。
避難所にいない人たちは食料も飲み物も総て自分の力で手に入れます。
また避難所での暮らしはプライバシーなどというものは皆無で皆ダンボールで
仕切ったに過ぎない空間で必死に生きていました。
その後起こった松本サリン事件で多くの人にとって
地震はすでに過去の出来事になっていってしまいました。
もし今後、もっと大きな災害に見舞われることがあったらそういう想定をしながら
自分で生き抜かなければこの国ではやってはいけないのだとあの地震で学びました。
先進国アメリカもまた日本と同じだったのかと
今回のハリケーンのお気の毒な被災者の方々を見て思いました。
あの小さな国オランダから学ぶことはたくさんあります。
未来を予見して、傷を大きくしないために最低限のものを準備しておく暮らし。
確かな行動力。地球温暖化の影響で様々な自然災害増え、
また各地で大きな地震も起きています。その災害の規模は年々大きくなるばかりです。
子どもに関わる仕事をしていて明日独りぼっちになるかもしれない時代を
生きているにも関わらずのんきに暮らしている私達は厳しい次の時代を
生きていく子ども達に自立の精神を叩き込む必要があるなぁと
アメリカから送られてくるニュース映像を見て実感しました。
オランダは守る価値のある美しい国でした。