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2008年04月14日

消せない思い出①

消滅したブログの記事の中には心の中でいつまでも留め置きたい思い出がある。
うっかり者というよりはおっちょこちょいがぴったりくる私はその思い出のブログを
あっさりと消してうぇ~んiconという気持ち。

そこでまだ大切にとってあるlivedoorのブログから
ちょっとずつ引っ張ってアップすることにしました。
えぇ、その手はじゃん公に来た時に使ってたのですけどいいよねぇ~icon
ちょっと手抜きですけど手抜きって好きですからぁ。
まずは足跡をたどる旅-海外編から。

消せない思い出①



(素敵な人)
イギリスに住んでいた頃、一人暮らしのアパートに泥棒が入って物騒だったので
友人の紹介でハウスシェアの同居人を探している人たちの面接に行きました。
日本では考えられないでしょうが新聞広告で同居人を探して大き目のアパートや
一軒家をシェアして家賃や光熱費をそれぞれが負担して暮らします。
アパートに住む前は女性ばかりでシェアして暮らしていましたが
同居人たちは家事の分担を守らないばかりか生活にルーズな人ばかりで
ストレスになり一人暮らしを始めたいきさつがあったので
面接されるというより自分が面接するつもりでいきました。
一軒家は広い庭付きの一戸建て。
ハーブが風に揺れるおしゃれな家でした。
玄関を通されるとそこには男性が3人。
へっ?全員、男!ハーレムじゃん!奥から年配の女性がひとり。
合計4人で私の値踏みが始まったようです。

一時間後、私はそこに引っ越すことを決めていました。
イギリスに住んでいてイギリス人とはなんとなく肌が合わない感じがしていました。
ところが彼らは開放的でとても気さくな人たちだったのです。
イギリスに暮らして馬鹿笑いしたのは久しぶりのような気がしました。
えっ~、見知らぬ男の人たちと暮らすのぉ~って思ったでしょう、
実は彼らは3人ともみんなゲイでうち二人はカップルでした。
そしてこのとき一緒に暮らした4人は私のかけがえのない大切な人たちになりました。

おしゃれに疎い私に爪の手入れの仕方や
フットケアのやり方を教えてくれたのはJohn。
恋の悩みを聞いてやり、失恋するたびに二人でパプに出かけては悪態ついてました。
彼から学んだ多くのことのうちもっとも大切なこと、
総ての人は自分と違う、自分を受け入れてもらいたかったら
わだかまりなく人を受け入れることだということ。
今、児童英語講師養成講座で先生を目指す人たちに
彼が私に言ってた言葉を繰り返しています。心の垣根を低くして。
たくさんの人を受け入れなさい。
彼の口からマイナスや後ろ向きの言葉は聞いたことがありませんでした。
いつも人に優しく、暖かい人。そうなりたいといつも、いつも思っていました。
その彼が亡くなって今年で12年。

いまでも自分の苦手なタイプの人などに出会ったりすると
全部の引き出しを開けてみるまで好きか嫌いか
決めてはだめだよという彼の声が聞こえます。
今の仕事に不可欠な心の持ち方を私に教えてくれた素敵な人でした。




(国民を守る政府)

一年も暮らさなかったけどオランダに住んでいたとき
激しい暴風雨に見舞われたことがありました。
山のない海抜ゼロのオランダ。
荒れ狂う風はイッキに海へといろんなものをなぎ倒して吹き抜けていきます。
恐ろしいというしか言いようのない夜を過ごしたことがありました。
ひとりアパートで震えていると警察の人が来て
避難するのでついて来いと手招きします。
外には警察だけでなく軍の人たちも一杯いてトラックに乗って避難所に行きました。
そこにはカーテンで仕切られた簡易ベットがあって
外国人である私にもきちんと私だけの場所がありました。
ベットの上には食料と水が用意されていました。

日本で阪神淡路大震災にあいました。
日本という国は個人の能力に頼るところが大きくて政府も役所も当てにはなりません。
避難所での暮らしもその後の生活も個々の人間のできる範囲でしか対処できない。
確かにお金が支給されたり、プレハブの住居を作ったり無ではなかったけれど
いかにも取り合えずという後手後手に回る取り組み方でしかなかったように思います。

生きていくことに必要な最低限の安全の確保なども個人の仕事でした。
避難所にいない人たちは食料も飲み物も総て自分の力で手に入れます。
また避難所での暮らしはプライバシーなどというものは皆無で皆ダンボールで
仕切ったに過ぎない空間で必死に生きていました。
その後起こった松本サリン事件で多くの人にとって
地震はすでに過去の出来事になっていってしまいました。
もし今後、もっと大きな災害に見舞われることがあったらそういう想定をしながら
自分で生き抜かなければこの国ではやってはいけないのだとあの地震で学びました。

先進国アメリカもまた日本と同じだったのかと
今回のハリケーンのお気の毒な被災者の方々を見て思いました。
あの小さな国オランダから学ぶことはたくさんあります。
未来を予見して、傷を大きくしないために最低限のものを準備しておく暮らし。
確かな行動力。地球温暖化の影響で様々な自然災害増え、
また各地で大きな地震も起きています。その災害の規模は年々大きくなるばかりです。

子どもに関わる仕事をしていて明日独りぼっちになるかもしれない時代を
生きているにも関わらずのんきに暮らしている私達は厳しい次の時代を
生きていく子ども達に自立の精神を叩き込む必要があるなぁと
アメリカから送られてくるニュース映像を見て実感しました。

オランダは守る価値のある美しい国でした。




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この記事へのコメント
おっはーっす。
うんうん。okaokaも昨日昔の記事を、さかのぼって読んでました。
あのころは・・・といい思い出達です。
おっちょこちょいなsakuraさんっ! ニヤリ
Posted by okaoka at 2008年04月14日 09:44
okaokaちゃん>
過ぎた時間がいい思い出になるよう頑張ろうね、メタボなokaokaちゃんっ!えっ、私もだって、そのとおりぃ。ダイエット、あんまりひとりでやせないでよ。
Posted by sakurasakura at 2008年04月14日 11:42
おひさしぶりでごじゃります。
いつの間にかリニューアルされていたんですね^^というか、消えちゃったんですね^^;;;;;;;前回の記事><ひゃあ。。タイムはたぶん浮上できません。。。。
しかし、先生は、ほんとに多国籍なお方w(うふ)
きれいなお写真も見てみたいですわw
Posted by taime at 2008年04月14日 12:57
sakuraさんキャッシュ使ってみれば~~?
詳しくはボクちんのブログで…
Posted by つねつね at 2008年04月14日 13:37
taimeさん>
リニューアルだったら良かったのですが・・間違えて消えました。そんな人ですから・・・
Posted by sakurasakura at 2008年04月14日 13:46
つねさん>
やってみました。いっぱい出てきて読みふけってしまったわ。ありがとう!!またひとつ賢くなりました。
Posted by sakurasakura at 2008年04月14日 19:47
失礼ながら、消去前のsakuraさんのブログに
どのようなことが書かれてあったのか存じ上げなかったのですが
この、「跡をたどる旅-海外編」を拝見して、
とても素晴らしいブログだったのだろうと確信しました。

イギリスの「素敵な人」のお話、とても素晴らしいですね。
“心の垣根を低くしてたくさんの人を受け入れなさい”
“全部の引き出しを開けてみるまで好きか嫌いか決めてはだめだよ”
これらのJohnの言葉、とても心に染みます…。

私は無意識のうちに自分の周りにバリアを張ってしまうクセがあり、
ブログでも、一度自分のブログへコメント頂いた方でないと
自ら他人様のブログへコメントすることがなかなかできないのです。
もしかしたら、自分の垣根を低くし忘れていたのかもしれませんね。

Johnはもうお亡くなりになったのですか…。寂しいですね。
だけど生前の彼の思いが、確実にsakuraさんの心に息づいていて、
そしてsakuraさんから、第三者である私の心にも伝わり、音を立てて響きました。
どうもありがとうございました。


これからもlivedoorのブログから引っ張ってこられてアップされるんですね^^
拝見するのが楽しみです。
Posted by noi at 2008年04月14日 20:32
 
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