2008年05月05日
消えない思い出⑧

SAKURA、立ち尽くす。。。。 (October 13, 2006)
お母さんが仕事で本部まで来れない子どもを迎えに戸次まで行きました。
小学校脇の児童館で待つこと10分。なかなか現れない。
学校まで覗きに行きます。隣にある墓地の横でその姿を目で探します。
待っている間、お墓に書いてある字に何気なく目をやると
亡くなられたときの年齢が刻まれてあります。21歳、33歳、25歳・・・・・。
どの墓石にも若い数字が並んでいます。
どうして?
同じ形できちんと並んでいる墓石の一つ一つをじっくり見ると
それは日露戦争だったり第2次世界大戦のものだったりして
年代も戦死した地もそれぞれ違っています。
どれも戦争で散っていった若い人たちの墓石です。
そしてそのほとんどは遠く日本を離れた極寒の地や南国の島。
命を落としたであろう地が明記してありました。
墓石はまるで整列した兵士たちのように並んでいます。
○○○子の夫、○○○雄の長男などたった一行の事実が刻まれてあって、
そこにあるひとつひとつの物語に涙がこぼれそうになりました。
私の半分も生きられなかった若い人たちに掛ける言葉が見つからない。
どういういきさつでこの小学校の片隅にこの戦死者たちがたたずむ事になったのか
わかりませんが慰霊の塔がすくっと立って忘れられた存在を悲しがっているように見えました。
「先生ぇ~」Rくんがランドセルを揺らしながら走ってきました。
教室で「はさみ」を振り回して喧嘩した子どもがいたようで皆で反省会をしていたそうな。
戦争で命をもぎ取られてしまった若い人たちもいるというのにこんな平和な国、
日本で命を軽んじる若い世代を育てている私たち。
言葉にできないいろいろな思いが溢れます。
この地球のあちこちで今も人間同士が殺しあうことが終わらない。
目の前にいる子どもたちがその渦に巻き込まれたりしないように守ってあげられるのは
目の前にいない世界中の子どもたちを守ってあげたいと思うことから始まるのかも知れません。
総ての子どもを平和の中で育てることは無理なことなのだろうか・・・・
私たちに足りないものは何なのだろう。。。。

今日は子供の日。この地球上ではこんなことが起きています。



そしてよりよい未来へと羽ばたくチャンスを失っています。


数百万人の子どもが衛生的でない水の摂取や
不十分な衛生設備のために病気にかかっています。


暮らさなければならない家族の中で生きています。


そのほとんどが危険で搾取的な状況下にあります。



読み書きや簡単な計算が出来るようになる前にドロップアウトしてしまう子どもたちもたくさんいます。


2008年04月26日
消せない思い出⑥
消滅したブログの記事の中には心の中でいつまでも留め置きたい思い出がある。
うっかり者というよりはおっちょこちょいがぴったりくる私はその思い出のブログを
あっさりと消してうぇ~んという気持ち。
そこでまだ大切にとってあるlivedoorのブログから
ちょっとずつ引っ張ってアップしています。題して消せない思い出です。
お尻、破ちょんよぉ~(大分弁ぽく) November 08, 2006
ほんのチョビットダイエットに成功(本当にチョビット)
クリスマスソングが嬉しい子どもたち。
そんな子どもたち見てはしゃいで歌うジングルベル
身も軽くなったせいか子どもたちと踊り狂う
春から始めた子どもたちの絵本の音読も始まって
これまた子どもたちの情熱に火を注ぐ
読める、読めると大騒ぎ。
お手本見せましょうね
子どもを前に鼻高々と英語の朗読。
拍手喝采、羨望のまなざし・・・気持ちいいです。
さぁ、皆も頑張ろう。
乗りまくったレッスンも終わり、
勢いに乗った子どもたちは公民館の階段でジングルベルを大合唱。
「こらっ!他の部屋でお勉強している人もいるんだよ」
と真顔で仁王立ちして叱り飛ばすと
その後ろから「先生、お尻、やぶけちょんよ」と大分弁で声かけられた
後ろに回りこむ子どもたちにひと言
「先生のお尻は二つに割れて入るけれど破れたりはしていません」
またも「がははははは」と笑い飛ばしながら面目ないと急いで帰りました。

やせたと思ったのは下半身ではなかった模様。
相変わらずのきつきつパンツは私の熱いダンスにはじけてしまったのね
またも階段で笑い転げている子どもたちの声が聞こえる
まっ、来週には忘れてくれているだろう・・・・事を祈る。
今日の反省・・・油断大敵。
SAKURA、びびる September 11, 2006
津久見教室からの帰り道。確か先週も急な大雨の中、高速飛ばして帰りました。
今日もなぜか高速に乗った途端、雨が降り出した。
目の端にちらりと白い影が見えた。
フロントのミラーの上あたり。
フロントガラスの上のほうで白い人の髪の毛のようなのがたなびいて見える。
ぞぉ~ぞぉ、ぞぉ~。
生唾、ごっくん。

ただでさえ、想像力のたくましい私。
昔見たホラー映画だの怖い漫画の映像が頭をよぎる
前を行く車も、後を追いかけてくる車もない。
ただ暗闇の中、私だけ得体の知れないものと一緒ですかぁ~
なんて久しぶりにガラスの心臓がばくばくしてます
料金所を出て明るいところで車を降りてチェック
髪の毛振り乱した山姥みたいなおばあさんが張り付いてたらどうしょう
なんてビビリながら見てみると
ナイロンの紐が張り付いてました。
恐ろしいのはたくましい私の想像力でありました。
そんな自分がおかしくてひとり車の中で大口開けて笑ってました。
まっ、私が一番恐ろしげだなとひとり納得して家路に着いたのでありました。
うっかり者というよりはおっちょこちょいがぴったりくる私はその思い出のブログを
あっさりと消してうぇ~んという気持ち。
そこでまだ大切にとってあるlivedoorのブログから
ちょっとずつ引っ張ってアップしています。題して消せない思い出です。

ほんのチョビットダイエットに成功(本当にチョビット)
クリスマスソングが嬉しい子どもたち。
そんな子どもたち見てはしゃいで歌うジングルベル
身も軽くなったせいか子どもたちと踊り狂う
春から始めた子どもたちの絵本の音読も始まって
これまた子どもたちの情熱に火を注ぐ
読める、読めると大騒ぎ。
お手本見せましょうね
子どもを前に鼻高々と英語の朗読。
拍手喝采、羨望のまなざし・・・気持ちいいです。
さぁ、皆も頑張ろう。
乗りまくったレッスンも終わり、
勢いに乗った子どもたちは公民館の階段でジングルベルを大合唱。
「こらっ!他の部屋でお勉強している人もいるんだよ」
と真顔で仁王立ちして叱り飛ばすと
その後ろから「先生、お尻、やぶけちょんよ」と大分弁で声かけられた
後ろに回りこむ子どもたちにひと言
「先生のお尻は二つに割れて入るけれど破れたりはしていません」
またも「がははははは」と笑い飛ばしながら面目ないと急いで帰りました。

やせたと思ったのは下半身ではなかった模様。
相変わらずのきつきつパンツは私の熱いダンスにはじけてしまったのね
またも階段で笑い転げている子どもたちの声が聞こえる
まっ、来週には忘れてくれているだろう・・・・事を祈る。
今日の反省・・・油断大敵。

津久見教室からの帰り道。確か先週も急な大雨の中、高速飛ばして帰りました。
今日もなぜか高速に乗った途端、雨が降り出した。
目の端にちらりと白い影が見えた。
フロントのミラーの上あたり。
フロントガラスの上のほうで白い人の髪の毛のようなのがたなびいて見える。
ぞぉ~ぞぉ、ぞぉ~。
生唾、ごっくん。

ただでさえ、想像力のたくましい私。
昔見たホラー映画だの怖い漫画の映像が頭をよぎる
前を行く車も、後を追いかけてくる車もない。
ただ暗闇の中、私だけ得体の知れないものと一緒ですかぁ~
なんて久しぶりにガラスの心臓がばくばくしてます
料金所を出て明るいところで車を降りてチェック
髪の毛振り乱した山姥みたいなおばあさんが張り付いてたらどうしょう
なんてビビリながら見てみると
ナイロンの紐が張り付いてました。
恐ろしいのはたくましい私の想像力でありました。
そんな自分がおかしくてひとり車の中で大口開けて笑ってました。
まっ、私が一番恐ろしげだなとひとり納得して家路に着いたのでありました。
2008年04月21日
消せない思い出⑤
消滅したブログから思い出を掘り起こしています
(アンネの隠れ家 )April 01, 2006

久々に海外の旅の思い出。オランダに住んでいた頃、アンネ・フランクの隠れ家を訪ねてみた。写真はアムステルダム西教会の近くにあるアンネがナチスの迫害から身を隠して住んでいた家。間口が狭くて、奥行きのある建物だった。中に入って2階に上ると,本棚でうまく隠された秘密の階段があってそこから先が隠れ家。隠れ家の中は彼女の日記を読んで私が勝手に想像していたよりは広かった。しかし、2家族と1人の人たちが外出することもできず住むには息が詰まったろうなと思った。ここで2年と数カ月アンネたちは恐怖と窮乏に耐え神経をすり減らしながら暮らしたのだ。
木製の床の上を音を立てずに歩き回るのは難しい。見学する人たちは、みんな小声で話し、足音を忍ばせて部屋を歩き回っていた。窓から見る景色はアンネが見ていた頃と同じなのだろうか。ちょうど教会の鐘の音が鳴った。誰一人身動きせずそのアンネも聞いたに違いない鐘の音に胸の締め付けられる思いがした。実際のアンネは思春期の女の子にふさわしく、いろいろなことに興味を持ち、考え、一生懸命生きていたのだ。戦争がなければ、広い空の下で思いきり様々な経験をして生きていったことだろう。しかし、その若いエネルギーを持ったアンネは狭い隠れ家に閉じ込められ、死に追いやられた。
戦争は個人の人生の可能性を破壊する。アンネだけではない。たくさんのユダヤ人、ドイツ人、アジアの人々,日本人、……。部屋にはアウシュビッツの写真の展示もあった。黙って写真を眺め,私は外に出た。気持ちが回復するのに長い時間がかかってしまった。
今の日本の子どもたちは自分の可能性を自由に伸ばす機会に恵まれている。恵まれた環境に生まれた子どもなのだから,自分の力を大きく伸ばし,賢い子になり、賢い大人になってほしい。そして,地球の4分の3の子どもたちは自分たちと大きく違う生活をしていることを真剣に見つめて生きる人間になってほしいと思う。
(どちまちたぁ~)August 03, 2006
夜になって具合が悪くなったわさび(我が家の末っ子犬
)
夜間でも開いている動物病院に連れて行きました
先客は私の3倍はあろうかという巨漢の男性と
飼い主に似たでっかい猫
「どちまちたかぁ~」
「痛い、痛いでちゅかぁ~」
「ちょっと具合が悪そうなので・・・」と私
「おぉ~、よちよち。かわいそうでちゅねぇ~」
幸いたいしたことがなかったようで
診察室から出てきてそう告げると
「良かったでちゅねぇ~」
とわさびの顔を覗き込むようにおっしゃいます
優しい気持ち一杯の赤ちゃん言葉
受付では世間に向かう態度そのまま
わさびや愛猫の前では無防備な優しい塊そのまま
まあるいふわふわの気持ち
鎧兜の下はそんなふうだったのね
一皮むけば
人は誰でもこんなに優しい

(アンネの隠れ家 )April 01, 2006

久々に海外の旅の思い出。オランダに住んでいた頃、アンネ・フランクの隠れ家を訪ねてみた。写真はアムステルダム西教会の近くにあるアンネがナチスの迫害から身を隠して住んでいた家。間口が狭くて、奥行きのある建物だった。中に入って2階に上ると,本棚でうまく隠された秘密の階段があってそこから先が隠れ家。隠れ家の中は彼女の日記を読んで私が勝手に想像していたよりは広かった。しかし、2家族と1人の人たちが外出することもできず住むには息が詰まったろうなと思った。ここで2年と数カ月アンネたちは恐怖と窮乏に耐え神経をすり減らしながら暮らしたのだ。
木製の床の上を音を立てずに歩き回るのは難しい。見学する人たちは、みんな小声で話し、足音を忍ばせて部屋を歩き回っていた。窓から見る景色はアンネが見ていた頃と同じなのだろうか。ちょうど教会の鐘の音が鳴った。誰一人身動きせずそのアンネも聞いたに違いない鐘の音に胸の締め付けられる思いがした。実際のアンネは思春期の女の子にふさわしく、いろいろなことに興味を持ち、考え、一生懸命生きていたのだ。戦争がなければ、広い空の下で思いきり様々な経験をして生きていったことだろう。しかし、その若いエネルギーを持ったアンネは狭い隠れ家に閉じ込められ、死に追いやられた。
戦争は個人の人生の可能性を破壊する。アンネだけではない。たくさんのユダヤ人、ドイツ人、アジアの人々,日本人、……。部屋にはアウシュビッツの写真の展示もあった。黙って写真を眺め,私は外に出た。気持ちが回復するのに長い時間がかかってしまった。
今の日本の子どもたちは自分の可能性を自由に伸ばす機会に恵まれている。恵まれた環境に生まれた子どもなのだから,自分の力を大きく伸ばし,賢い子になり、賢い大人になってほしい。そして,地球の4分の3の子どもたちは自分たちと大きく違う生活をしていることを真剣に見つめて生きる人間になってほしいと思う。
(どちまちたぁ~)August 03, 2006
夜になって具合が悪くなったわさび(我が家の末っ子犬

夜間でも開いている動物病院に連れて行きました
先客は私の3倍はあろうかという巨漢の男性と
飼い主に似たでっかい猫
「どちまちたかぁ~」
「痛い、痛いでちゅかぁ~」
「ちょっと具合が悪そうなので・・・」と私
「おぉ~、よちよち。かわいそうでちゅねぇ~」
幸いたいしたことがなかったようで
診察室から出てきてそう告げると
「良かったでちゅねぇ~」
とわさびの顔を覗き込むようにおっしゃいます
優しい気持ち一杯の赤ちゃん言葉
受付では世間に向かう態度そのまま
わさびや愛猫の前では無防備な優しい塊そのまま
まあるいふわふわの気持ち
鎧兜の下はそんなふうだったのね
一皮むけば
人は誰でもこんなに優しい
2008年04月17日
消せない思い出④
(雨漏り)2005.5.6
朝からせんべい布団、わんこにくるまれて寝ていると雨音が・・・。
落ち着きますなぁ。久しぶりに聞く雨音・・ん?随分身近に聞こえます。
外からではなくわんこ部屋(長くて広い廊下がわんこ達の居住区)から
ぽたり、ぽたりと聞こえてきます。むむっ。これは雨漏り・・。
我が家は古~い一戸建ての貸家です。大家様の手前決してボロ家とはいえません。
毎年数回どこかを直していただいてます。
それはまるであちこちガタがきているわが身のようで住み慣れるとここも安住の地、
冬は家の中で凍死するかもと思うほど寒く、
夏はこのまま寝ていて茹で上がるのではないかと思うほど暑い快適さです。
でも今年から家賃は上がりました。
わんこ4匹と住めるありがたさを思えばなんでも我慢できます。
私って言葉にとげ含んでましたかぁ。抜いといてくださいね。
悪意はないです、真実ですから・・・。
大きなセメント練る箱をバケツ代わりにおいておくと
一定のリズムで雨が天井から落ちてきます。
一番若いわんこのわさびが興味深々でその箱に頭を突っ込むものだから
もれ落ちる雨を頭で受けてびしょびしょになってます。
でもそれが楽しいらしい・・変なやつ!
何度行くなと叱ってもやっぱり頭をぬらしに喜んでそこに向かいます。
なにが楽しいと思うかはひと(いぇ、犬)それぞれ。
雨で散歩も行けないのだからそれが楽しいのならそうしていればいいかと
しばらく見てみぬ振りをしていると全身ぬれねずみ。顔が笑ってます。
そうかい、良かったねぇ。雨漏りもうれしいなんて思わなかったよ。
そんなわさびを見てしみじみ笑えてほっこり出来た今日の連休明の一日でした。
(sakura、我が目を疑う)2006.2.16
仕事帰り、家の前の道が珍しく渋滞しています。
前のほうでクラクションを鳴らしています。ゆっくりとしか前に進めません。
家まであと少し、どうしたのかなぁ~と思っていると
道の端を満面の笑みをたたえた我が愛犬、
わさびちゃんスキップするかのごとく歩いています。
えぇ~っ!
なぜに?どうして?
あなたはそこにいるの?
車を停めて、うれしそうに道行く車に愛想を振りまいているわさびの名前を叫びます。
「わぁさぁびぃ~」えっ、と振り向いて弾丸のごとく走ってきました。
尻尾をぐるんぐるん回転させて会えてよかったぁとばかり飛びついてきました。
なんて奴だ。ひぇ~、皆さんごめんなさい。
戸締りしっかりしたはずが鍵の掛け方が甘かったようです。
帰ると窓が少し開いてました。いったいいつから外を飛び歩いていたのか、
よくぞ無事でいてくれました。
自分の手落ちなのに、安心したら急に腹が立って雷を落としました・・・が・・・
このわさびいつもの天真爛漫大作戦。
ひたすらごめんね、許して、もういいじゃんとばかりすりすり作戦を実行
私の落とした雷にビビッているのは他の3匹。なんてことだ!
育て方に間違いがあったらしい。
人様に子育てアドバイスできる身分かといたく反省させられました。
何事もなかったように爆睡してるわさびちゃん、
これからお留守番のときはケージに入らなくてはならなくなりそうです。
これも身からでた錆び、自業自得と世間では言うのですよ
その後わさびは2度、洗濯物を干して油断している私のもとから
脱出を試みて近所のおじいさん、おばあさんたちに急遽捜索隊を組織させたりして
人様に迷惑をかけております。
アホな割には鍵のかかっていない窓は開くのだと発見した模様です。最悪!
朝からせんべい布団、わんこにくるまれて寝ていると雨音が・・・。
落ち着きますなぁ。久しぶりに聞く雨音・・ん?随分身近に聞こえます。
外からではなくわんこ部屋(長くて広い廊下がわんこ達の居住区)から
ぽたり、ぽたりと聞こえてきます。むむっ。これは雨漏り・・。
我が家は古~い一戸建ての貸家です。大家様の手前決してボロ家とはいえません。
毎年数回どこかを直していただいてます。
それはまるであちこちガタがきているわが身のようで住み慣れるとここも安住の地、
冬は家の中で凍死するかもと思うほど寒く、
夏はこのまま寝ていて茹で上がるのではないかと思うほど暑い快適さです。
でも今年から家賃は上がりました。
わんこ4匹と住めるありがたさを思えばなんでも我慢できます。
私って言葉にとげ含んでましたかぁ。抜いといてくださいね。
悪意はないです、真実ですから・・・。
大きなセメント練る箱をバケツ代わりにおいておくと
一定のリズムで雨が天井から落ちてきます。
一番若いわんこのわさびが興味深々でその箱に頭を突っ込むものだから
もれ落ちる雨を頭で受けてびしょびしょになってます。
でもそれが楽しいらしい・・変なやつ!
何度行くなと叱ってもやっぱり頭をぬらしに喜んでそこに向かいます。
なにが楽しいと思うかはひと(いぇ、犬)それぞれ。
雨で散歩も行けないのだからそれが楽しいのならそうしていればいいかと
しばらく見てみぬ振りをしていると全身ぬれねずみ。顔が笑ってます。
そうかい、良かったねぇ。雨漏りもうれしいなんて思わなかったよ。
そんなわさびを見てしみじみ笑えてほっこり出来た今日の連休明の一日でした。

(sakura、我が目を疑う)2006.2.16
仕事帰り、家の前の道が珍しく渋滞しています。
前のほうでクラクションを鳴らしています。ゆっくりとしか前に進めません。
家まであと少し、どうしたのかなぁ~と思っていると
道の端を満面の笑みをたたえた我が愛犬、
わさびちゃんスキップするかのごとく歩いています。
えぇ~っ!
なぜに?どうして?
あなたはそこにいるの?
車を停めて、うれしそうに道行く車に愛想を振りまいているわさびの名前を叫びます。
「わぁさぁびぃ~」えっ、と振り向いて弾丸のごとく走ってきました。
尻尾をぐるんぐるん回転させて会えてよかったぁとばかり飛びついてきました。
なんて奴だ。ひぇ~、皆さんごめんなさい。
戸締りしっかりしたはずが鍵の掛け方が甘かったようです。
帰ると窓が少し開いてました。いったいいつから外を飛び歩いていたのか、
よくぞ無事でいてくれました。
自分の手落ちなのに、安心したら急に腹が立って雷を落としました・・・が・・・
このわさびいつもの天真爛漫大作戦。
ひたすらごめんね、許して、もういいじゃんとばかりすりすり作戦を実行
私の落とした雷にビビッているのは他の3匹。なんてことだ!
育て方に間違いがあったらしい。
人様に子育てアドバイスできる身分かといたく反省させられました。
何事もなかったように爆睡してるわさびちゃん、
これからお留守番のときはケージに入らなくてはならなくなりそうです。
これも身からでた錆び、自業自得と世間では言うのですよ
その後わさびは2度、洗濯物を干して油断している私のもとから
脱出を試みて近所のおじいさん、おばあさんたちに急遽捜索隊を組織させたりして
人様に迷惑をかけております。
アホな割には鍵のかかっていない窓は開くのだと発見した模様です。最悪!
2008年04月16日
消せない思い出③
(好き、好き光線<発射!)2007.2.28
子どもがやってきて友達の悪口を言う。
そうか、そんな悪い奴か!
だけどそんな奴にも友達はいる。
君には見せない素敵な顔があるに違いない。
君が嫌な奴と思うからその子はきっと嫌な奴になってしまう。
いい奴じゃんって思ったりするともしかして君にもいいトコ見せてくれるかも・・・
好きな人に嫌なところは見せないものね。
眼の奥にある「嫌い、嫌い光線」は相手の心の的にきちんと当たる。
先生の「好き、好き光線」君に当たってる?
学校の中で算数や国語だけでなく
人と人の間にあるたくさんの不思議を見つけることができたら
なんか儲かっちゃう気分じゃない?
自分にとって都合のいい人しか愛せない
都合が悪くなるとそれが愛でなかったと気づいてしまう。
もろい人間関係の中で生きると人生は寂しくなります。
ただ好きだから絆や縁を大切にして人と関わっていく生き方は
静かに深く人と結びついていけるように思うのです。

(愛のある暮らし)2006.11.22
たっぷりと愛されていて、でも甘やかされたわけではないって子ども。
どんなときでもマイペース。
素直さの塊。心の中に「アク」がない。
どこにいても軸がぶれない。
誰の心にも素直に寄り添って
だれにも媚びずに、だれにでも優しい。
そういう子どもに出会うと逆に教え導かれる。
愛は愛を呼ぶ。
逆に寂しい顔をした子どももいる。
身構えて心の中に大きな壁を作る。
自分を守る砦が人との間に立ちはだかって言葉が態度が敵を作る。
だれよりも求めているものが手に入らずにいてもがいてる。
その砦一緒に壊してしまわない?
孤独は孤独を呼ぶ。
愛されているのに孤独を感じている子どもが多くなったと思います。
物を与えられていても充分ではなく、
うるさいほどにかまってもらっていても充分でない。
わがまま、気ままにしているようでも満足ではいられない。
親の心の中にあるものをいつも見透かして計ってる。
子どもの求めているものと親が与えているものが違っていたりする。
君は私の大切な人。世の中で何があっても失いたくない存在。
心の中にある本当を伝え忘れていないだろうか。
早速、点検。早速、実行。素直な気持ちは素直さを呼ぶ。
子どもがやってきて友達の悪口を言う。
そうか、そんな悪い奴か!
だけどそんな奴にも友達はいる。
君には見せない素敵な顔があるに違いない。
君が嫌な奴と思うからその子はきっと嫌な奴になってしまう。
いい奴じゃんって思ったりするともしかして君にもいいトコ見せてくれるかも・・・
好きな人に嫌なところは見せないものね。
眼の奥にある「嫌い、嫌い光線」は相手の心の的にきちんと当たる。
先生の「好き、好き光線」君に当たってる?
学校の中で算数や国語だけでなく
人と人の間にあるたくさんの不思議を見つけることができたら
なんか儲かっちゃう気分じゃない?
自分にとって都合のいい人しか愛せない
都合が悪くなるとそれが愛でなかったと気づいてしまう。
もろい人間関係の中で生きると人生は寂しくなります。
ただ好きだから絆や縁を大切にして人と関わっていく生き方は
静かに深く人と結びついていけるように思うのです。

(愛のある暮らし)2006.11.22
たっぷりと愛されていて、でも甘やかされたわけではないって子ども。
どんなときでもマイペース。
素直さの塊。心の中に「アク」がない。
どこにいても軸がぶれない。
誰の心にも素直に寄り添って
だれにも媚びずに、だれにでも優しい。
そういう子どもに出会うと逆に教え導かれる。
愛は愛を呼ぶ。
逆に寂しい顔をした子どももいる。
身構えて心の中に大きな壁を作る。
自分を守る砦が人との間に立ちはだかって言葉が態度が敵を作る。
だれよりも求めているものが手に入らずにいてもがいてる。
その砦一緒に壊してしまわない?
孤独は孤独を呼ぶ。
愛されているのに孤独を感じている子どもが多くなったと思います。
物を与えられていても充分ではなく、
うるさいほどにかまってもらっていても充分でない。
わがまま、気ままにしているようでも満足ではいられない。
親の心の中にあるものをいつも見透かして計ってる。
子どもの求めているものと親が与えているものが違っていたりする。
君は私の大切な人。世の中で何があっても失いたくない存在。
心の中にある本当を伝え忘れていないだろうか。
早速、点検。早速、実行。素直な気持ちは素直さを呼ぶ。
2008年04月15日
消せない思い出②
思い出日記コピペその②(消した記事を掘り起こしてます)
(蟻と遅延反応)2006.10.19
昨日、住吉浜までわんこたちの散歩に出かけたおり、
一匹のでっかい働き蟻を連れて帰ってきてしまったようで
幼児サークルに向かうとき車内でその蟻を見かけました。
そして今朝、やっぱりフロントガラスの内側を
おうちに帰ろうと忙しく歩き回っている蟻を発見。
ひとり見知らぬところに放り出された蟻の身の上になって見れば
気も狂わんばかりの思いだろうにといたく同情した私は午前中の別府の保育園が
終わったらせめて住吉浜までは連れて帰ってやろうと
フロントガラスをうろうろする蟻をティシュでくるんでレッスンに行きました。
レッスンを終えてさぁ、おうちに帰ろうねと住吉浜まで
行ったのにティシュの中はもぬけの殻。
一度車の中はもとよりバックの中に入っているものまで全部出して
捜索するも発見にいたりませんでした。
仕方がないのでとほほ状態で帰りました。
話はまだあるの・・・帰り道で冷凍食品半額の日だから
ちょっとスーパーに寄ってお買い物。
レジでぎゃびぃ~ん財布がない。小銭入れはあるけど財布がない。
スーパーですりにあったのかしらん。
小銭入れの中にはきっかり1000円しか入っておりません。
お金が払えず商品はとりあえず全部返しました。
どうしましょう、たぶん4万円くらい入っていたわ・・・
うろたえながらサービスカウンターで落し物の届出をしているうちに
きっと住吉浜で落としたのかもという考えが浮かんで
またもや車を住吉浜方面に走らせているとありんこがフロントガラスを歩いてます。
別大道路に入る手前でなぜだか、頭にはっきり、くっきり記憶がよみがえってきました。
そうでした。お金を持ち歩いて使うといけないので銀行へ昨日、入れといたんでした。
おまけにいらないものを買うといけないと思って財布も家に残したままでした。
なんで今頃思い出したんだろう。またもや我が家に車を走らせながら一人で
大騒ぎしてた自分が恥ずかしくなりました。スーパーに寄って
財布があったことを告げると「そんなこともありますよ」という暖かい慰めのお言葉。
結局、うろうろして目的を果たせず蟻と一緒にご帰還です。
たぶん土曜日なら連れて帰ってあげられる。車
を降りるときにそう声をかけてみました。なんだか他人のような気がしない・・・・。

(いたみかけてる、わ・た・し )2005.6.18
現代人は腐りにくいらしい。(もちろん寿命が尽きたときのお話)
本当かうそかは知らないけど(ちょっと情報源が怪しげなんだけど・・・)
酸化防止剤とか保存料とかそんな食品を山ほどとっているからという説明に
妙に納得してそうなんだと信じちゃいました。
そんな話で盛り上がり、
私もあの世に召されたらやっぱり自然食品と縁遠い生活だから
腐らないかもって謙虚に言ったらもう、いたみかけてると親切に教えてもらった・・・・。
どの辺りから腐りかけてるのかはわからないけど頭や身体がいたみかけてきても心
だけは昔のように新鮮でパリッとしていたい。
アメリカに住んでいたころ英語がものすごく下手なのに、
ものすごくコミュニケーションをとるのが上手だった私、
現地の地方新聞に顔写真付のコラム書いてました。ものすごいでたらめな英語で。
読者はそれを結構楽しみにして読んでいたらしくスーパーなどで見知らぬ人から
いきなり英語レッスンされたりなんてこともざらでした。
おかげで小さな町で結構有名人になった私は
3曲しかない一度も完璧に引いたためしのないお琴のコンサートを開いたり
着付け舞(♪さくらの曲に合わせて踊りながら着物を着て帯を締めるものすごい技!)
なんかをはしゃいでやったものでした。調子に乗るってやつですなぁ。
生きることを楽しんでいたあの頃と同じように
もっと経験を重ねた分、おおいに人生を楽しみたいものです。
(蟻と遅延反応)2006.10.19
昨日、住吉浜までわんこたちの散歩に出かけたおり、
一匹のでっかい働き蟻を連れて帰ってきてしまったようで
幼児サークルに向かうとき車内でその蟻を見かけました。
そして今朝、やっぱりフロントガラスの内側を
おうちに帰ろうと忙しく歩き回っている蟻を発見。
ひとり見知らぬところに放り出された蟻の身の上になって見れば
気も狂わんばかりの思いだろうにといたく同情した私は午前中の別府の保育園が
終わったらせめて住吉浜までは連れて帰ってやろうと
フロントガラスをうろうろする蟻をティシュでくるんでレッスンに行きました。
レッスンを終えてさぁ、おうちに帰ろうねと住吉浜まで
行ったのにティシュの中はもぬけの殻。
一度車の中はもとよりバックの中に入っているものまで全部出して
捜索するも発見にいたりませんでした。
仕方がないのでとほほ状態で帰りました。
話はまだあるの・・・帰り道で冷凍食品半額の日だから
ちょっとスーパーに寄ってお買い物。
レジでぎゃびぃ~ん財布がない。小銭入れはあるけど財布がない。
スーパーですりにあったのかしらん。
小銭入れの中にはきっかり1000円しか入っておりません。
お金が払えず商品はとりあえず全部返しました。
どうしましょう、たぶん4万円くらい入っていたわ・・・
うろたえながらサービスカウンターで落し物の届出をしているうちに
きっと住吉浜で落としたのかもという考えが浮かんで
またもや車を住吉浜方面に走らせているとありんこがフロントガラスを歩いてます。
別大道路に入る手前でなぜだか、頭にはっきり、くっきり記憶がよみがえってきました。
そうでした。お金を持ち歩いて使うといけないので銀行へ昨日、入れといたんでした。
おまけにいらないものを買うといけないと思って財布も家に残したままでした。
なんで今頃思い出したんだろう。またもや我が家に車を走らせながら一人で
大騒ぎしてた自分が恥ずかしくなりました。スーパーに寄って
財布があったことを告げると「そんなこともありますよ」という暖かい慰めのお言葉。
結局、うろうろして目的を果たせず蟻と一緒にご帰還です。
たぶん土曜日なら連れて帰ってあげられる。車
を降りるときにそう声をかけてみました。なんだか他人のような気がしない・・・・。

(いたみかけてる、わ・た・し )2005.6.18
現代人は腐りにくいらしい。(もちろん寿命が尽きたときのお話)
本当かうそかは知らないけど(ちょっと情報源が怪しげなんだけど・・・)
酸化防止剤とか保存料とかそんな食品を山ほどとっているからという説明に
妙に納得してそうなんだと信じちゃいました。
そんな話で盛り上がり、
私もあの世に召されたらやっぱり自然食品と縁遠い生活だから
腐らないかもって謙虚に言ったらもう、いたみかけてると親切に教えてもらった・・・・。
どの辺りから腐りかけてるのかはわからないけど頭や身体がいたみかけてきても心
だけは昔のように新鮮でパリッとしていたい。
アメリカに住んでいたころ英語がものすごく下手なのに、
ものすごくコミュニケーションをとるのが上手だった私、
現地の地方新聞に顔写真付のコラム書いてました。ものすごいでたらめな英語で。
読者はそれを結構楽しみにして読んでいたらしくスーパーなどで見知らぬ人から
いきなり英語レッスンされたりなんてこともざらでした。
おかげで小さな町で結構有名人になった私は
3曲しかない一度も完璧に引いたためしのないお琴のコンサートを開いたり
着付け舞(♪さくらの曲に合わせて踊りながら着物を着て帯を締めるものすごい技!)
なんかをはしゃいでやったものでした。調子に乗るってやつですなぁ。
生きることを楽しんでいたあの頃と同じように
もっと経験を重ねた分、おおいに人生を楽しみたいものです。
2008年04月14日
消せない思い出①
消滅したブログの記事の中には心の中でいつまでも留め置きたい思い出がある。
うっかり者というよりはおっちょこちょいがぴったりくる私はその思い出のブログを
あっさりと消してうぇ~ん
という気持ち。
そこでまだ大切にとってあるlivedoorのブログから
ちょっとずつ引っ張ってアップすることにしました。
えぇ、その手はじゃん公に来た時に使ってたのですけどいいよねぇ~
ちょっと手抜きですけど手抜きって好きですからぁ。
まずは足跡をたどる旅-海外編から。

(素敵な人)
イギリスに住んでいた頃、一人暮らしのアパートに泥棒が入って物騒だったので
友人の紹介でハウスシェアの同居人を探している人たちの面接に行きました。
日本では考えられないでしょうが新聞広告で同居人を探して大き目のアパートや
一軒家をシェアして家賃や光熱費をそれぞれが負担して暮らします。
アパートに住む前は女性ばかりでシェアして暮らしていましたが
同居人たちは家事の分担を守らないばかりか生活にルーズな人ばかりで
ストレスになり一人暮らしを始めたいきさつがあったので
面接されるというより自分が面接するつもりでいきました。
一軒家は広い庭付きの一戸建て。
ハーブが風に揺れるおしゃれな家でした。
玄関を通されるとそこには男性が3人。
へっ?全員、男!ハーレムじゃん!奥から年配の女性がひとり。
合計4人で私の値踏みが始まったようです。
一時間後、私はそこに引っ越すことを決めていました。
イギリスに住んでいてイギリス人とはなんとなく肌が合わない感じがしていました。
ところが彼らは開放的でとても気さくな人たちだったのです。
イギリスに暮らして馬鹿笑いしたのは久しぶりのような気がしました。
えっ~、見知らぬ男の人たちと暮らすのぉ~って思ったでしょう、
実は彼らは3人ともみんなゲイでうち二人はカップルでした。
そしてこのとき一緒に暮らした4人は私のかけがえのない大切な人たちになりました。
おしゃれに疎い私に爪の手入れの仕方や
フットケアのやり方を教えてくれたのはJohn。
恋の悩みを聞いてやり、失恋するたびに二人でパプに出かけては悪態ついてました。
彼から学んだ多くのことのうちもっとも大切なこと、
総ての人は自分と違う、自分を受け入れてもらいたかったら
わだかまりなく人を受け入れることだということ。
今、児童英語講師養成講座で先生を目指す人たちに
彼が私に言ってた言葉を繰り返しています。心の垣根を低くして。
たくさんの人を受け入れなさい。
彼の口からマイナスや後ろ向きの言葉は聞いたことがありませんでした。
いつも人に優しく、暖かい人。そうなりたいといつも、いつも思っていました。
その彼が亡くなって今年で12年。
いまでも自分の苦手なタイプの人などに出会ったりすると
全部の引き出しを開けてみるまで好きか嫌いか
決めてはだめだよという彼の声が聞こえます。
今の仕事に不可欠な心の持ち方を私に教えてくれた素敵な人でした。
(国民を守る政府)
一年も暮らさなかったけどオランダに住んでいたとき
激しい暴風雨に見舞われたことがありました。
山のない海抜ゼロのオランダ。
荒れ狂う風はイッキに海へといろんなものをなぎ倒して吹き抜けていきます。
恐ろしいというしか言いようのない夜を過ごしたことがありました。
ひとりアパートで震えていると警察の人が来て
避難するのでついて来いと手招きします。
外には警察だけでなく軍の人たちも一杯いてトラックに乗って避難所に行きました。
そこにはカーテンで仕切られた簡易ベットがあって
外国人である私にもきちんと私だけの場所がありました。
ベットの上には食料と水が用意されていました。
日本で阪神淡路大震災にあいました。
日本という国は個人の能力に頼るところが大きくて政府も役所も当てにはなりません。
避難所での暮らしもその後の生活も個々の人間のできる範囲でしか対処できない。
確かにお金が支給されたり、プレハブの住居を作ったり無ではなかったけれど
いかにも取り合えずという後手後手に回る取り組み方でしかなかったように思います。
生きていくことに必要な最低限の安全の確保なども個人の仕事でした。
避難所にいない人たちは食料も飲み物も総て自分の力で手に入れます。
また避難所での暮らしはプライバシーなどというものは皆無で皆ダンボールで
仕切ったに過ぎない空間で必死に生きていました。
その後起こった松本サリン事件で多くの人にとって
地震はすでに過去の出来事になっていってしまいました。
もし今後、もっと大きな災害に見舞われることがあったらそういう想定をしながら
自分で生き抜かなければこの国ではやってはいけないのだとあの地震で学びました。
先進国アメリカもまた日本と同じだったのかと
今回のハリケーンのお気の毒な被災者の方々を見て思いました。
あの小さな国オランダから学ぶことはたくさんあります。
未来を予見して、傷を大きくしないために最低限のものを準備しておく暮らし。
確かな行動力。地球温暖化の影響で様々な自然災害増え、
また各地で大きな地震も起きています。その災害の規模は年々大きくなるばかりです。
子どもに関わる仕事をしていて明日独りぼっちになるかもしれない時代を
生きているにも関わらずのんきに暮らしている私達は厳しい次の時代を
生きていく子ども達に自立の精神を叩き込む必要があるなぁと
アメリカから送られてくるニュース映像を見て実感しました。
オランダは守る価値のある美しい国でした。
うっかり者というよりはおっちょこちょいがぴったりくる私はその思い出のブログを
あっさりと消してうぇ~ん

そこでまだ大切にとってあるlivedoorのブログから
ちょっとずつ引っ張ってアップすることにしました。
えぇ、その手はじゃん公に来た時に使ってたのですけどいいよねぇ~

ちょっと手抜きですけど手抜きって好きですからぁ。
まずは足跡をたどる旅-海外編から。

(素敵な人)
イギリスに住んでいた頃、一人暮らしのアパートに泥棒が入って物騒だったので
友人の紹介でハウスシェアの同居人を探している人たちの面接に行きました。
日本では考えられないでしょうが新聞広告で同居人を探して大き目のアパートや
一軒家をシェアして家賃や光熱費をそれぞれが負担して暮らします。
アパートに住む前は女性ばかりでシェアして暮らしていましたが
同居人たちは家事の分担を守らないばかりか生活にルーズな人ばかりで
ストレスになり一人暮らしを始めたいきさつがあったので
面接されるというより自分が面接するつもりでいきました。
一軒家は広い庭付きの一戸建て。
ハーブが風に揺れるおしゃれな家でした。
玄関を通されるとそこには男性が3人。
へっ?全員、男!ハーレムじゃん!奥から年配の女性がひとり。
合計4人で私の値踏みが始まったようです。
一時間後、私はそこに引っ越すことを決めていました。
イギリスに住んでいてイギリス人とはなんとなく肌が合わない感じがしていました。
ところが彼らは開放的でとても気さくな人たちだったのです。
イギリスに暮らして馬鹿笑いしたのは久しぶりのような気がしました。
えっ~、見知らぬ男の人たちと暮らすのぉ~って思ったでしょう、
実は彼らは3人ともみんなゲイでうち二人はカップルでした。
そしてこのとき一緒に暮らした4人は私のかけがえのない大切な人たちになりました。
おしゃれに疎い私に爪の手入れの仕方や
フットケアのやり方を教えてくれたのはJohn。
恋の悩みを聞いてやり、失恋するたびに二人でパプに出かけては悪態ついてました。
彼から学んだ多くのことのうちもっとも大切なこと、
総ての人は自分と違う、自分を受け入れてもらいたかったら
わだかまりなく人を受け入れることだということ。
今、児童英語講師養成講座で先生を目指す人たちに
彼が私に言ってた言葉を繰り返しています。心の垣根を低くして。
たくさんの人を受け入れなさい。
彼の口からマイナスや後ろ向きの言葉は聞いたことがありませんでした。
いつも人に優しく、暖かい人。そうなりたいといつも、いつも思っていました。
その彼が亡くなって今年で12年。
いまでも自分の苦手なタイプの人などに出会ったりすると
全部の引き出しを開けてみるまで好きか嫌いか
決めてはだめだよという彼の声が聞こえます。
今の仕事に不可欠な心の持ち方を私に教えてくれた素敵な人でした。
(国民を守る政府)
一年も暮らさなかったけどオランダに住んでいたとき
激しい暴風雨に見舞われたことがありました。
山のない海抜ゼロのオランダ。
荒れ狂う風はイッキに海へといろんなものをなぎ倒して吹き抜けていきます。
恐ろしいというしか言いようのない夜を過ごしたことがありました。
ひとりアパートで震えていると警察の人が来て
避難するのでついて来いと手招きします。
外には警察だけでなく軍の人たちも一杯いてトラックに乗って避難所に行きました。
そこにはカーテンで仕切られた簡易ベットがあって
外国人である私にもきちんと私だけの場所がありました。
ベットの上には食料と水が用意されていました。
日本で阪神淡路大震災にあいました。
日本という国は個人の能力に頼るところが大きくて政府も役所も当てにはなりません。
避難所での暮らしもその後の生活も個々の人間のできる範囲でしか対処できない。
確かにお金が支給されたり、プレハブの住居を作ったり無ではなかったけれど
いかにも取り合えずという後手後手に回る取り組み方でしかなかったように思います。
生きていくことに必要な最低限の安全の確保なども個人の仕事でした。
避難所にいない人たちは食料も飲み物も総て自分の力で手に入れます。
また避難所での暮らしはプライバシーなどというものは皆無で皆ダンボールで
仕切ったに過ぎない空間で必死に生きていました。
その後起こった松本サリン事件で多くの人にとって
地震はすでに過去の出来事になっていってしまいました。
もし今後、もっと大きな災害に見舞われることがあったらそういう想定をしながら
自分で生き抜かなければこの国ではやってはいけないのだとあの地震で学びました。
先進国アメリカもまた日本と同じだったのかと
今回のハリケーンのお気の毒な被災者の方々を見て思いました。
あの小さな国オランダから学ぶことはたくさんあります。
未来を予見して、傷を大きくしないために最低限のものを準備しておく暮らし。
確かな行動力。地球温暖化の影響で様々な自然災害増え、
また各地で大きな地震も起きています。その災害の規模は年々大きくなるばかりです。
子どもに関わる仕事をしていて明日独りぼっちになるかもしれない時代を
生きているにも関わらずのんきに暮らしている私達は厳しい次の時代を
生きていく子ども達に自立の精神を叩き込む必要があるなぁと
アメリカから送られてくるニュース映像を見て実感しました。
オランダは守る価値のある美しい国でした。