2008年05月08日
途方にくれて

I have come to realize more and more that the greatest disease
and the greatest suffering is to be unwanted, unloved,
uncared for, to be shunned by everybody,
to be just nobody to no one.
「最悪の病気と最悪の苦しみは、必要とされないこと、愛されないこと、
大切にされないこと、全ての人に拒絶されること、
自分がだれでもなくなってしまうことだと、より実感するようになりました。」
マザー・テレサ(1910-1997)
保護者の方からの一本の電話。
小学校の先生が宿題を出しすぎて子どもが毎晩泣きながら宿題しているという。
覚えることや理解することが苦手な子である、いろんなことに時間がかかる。
だけど素直で頑張り屋さんである。優しい妹思いの女の子である。
出会ったころは自分に自信がなくてちょっとおどおどしていたけど少しずつのの進歩が
嬉しいって思えるようになって同じことを何度も練習してはとびきりの笑顔で誇らしげに
その成果を見せてくれたていたりした。
その彼女が重い気持ちで毎日学校へ行くという。小学2年生。
長い時間掛けて仕上げた宿題が赤いXと先生のダメだしで戻される。
どんな気持ちがするだろう。
よぉ頑張ってやったんだねってなぜ言ってあげられないのだろう。
私自身も時々保護者の方からお叱りを受けることがある
もっとできていて良いのではないかと。
週一回の英語のレッスンは一年に直すと2日分もない。
子どもたちが楽しいと感じてそれでいてものすごく英語ができるようになったなぁと
自分で自覚できるように持っていくのは骨の折れる仕事だ。
でも少しずつの進歩が自分への励みとなるように頭よりも心を鍛えて
知識を活かせるようになるように私なりに頑張って子どもたちに向かい合っている。
それはすぐに結果が出せることでないことを多くの大人たちは理解している。
それでいて、子どもの成長するということが1+1=2のようにすぐに手に入る
優しい数式と同じようにすぐに結果を求めていたりもする。
土を耕し種をまき、長い時間をかけて物事の本質を教えることが教育ではないのかと
時々泣いて叫びたくなるときがある。
土を耕すこともせず種をまいたら早く実を実らせろとせかされる。
心の中にある魂を育てずにただ知識をあてがったところで学び得るものがあるのか。
能力があって学ぶことができるのだから人として学ぶ力をつけてあげることが
先ではないのかと子どもと一緒にいればわかりそうなものなのにである。
私は長い間教える仕事をしてどんなに遠回りでも子どもたちには
先々できっと力になるものを持たせて送り出してあげたいと
そういう自分の考えを曲げずに頑張ってきた。
何かを持たせることができるとするなら幼いうちに学ぶに足る力をつけてあげる
ことが何より大切と思う。知識を身につける力が備われば
いつからでも何でも子どもたちは自らが学べる人になる。
子どもに関わる人たちはみな最初はそう思っているのではないかなと思う。
だけどそれがいつまでも通らないことを現実の中で知る。
結果が求められるからである。子どもの成長は静かにじわじわとやってくる。
できなくてもそれでもいいのだと受け入れて、認めて、励まして
やる気を見せるようになって子どもの中の何かが変わる。
そんなプロセスなしでとにかくできるようにと教師が焦れば子どもは孤独の中で
行くべき道を見失う。これくらいやってよねというプレッシャーは
子どもの中の自信をつぶす。そして子どもの人格までを破壊する。
子どもの中にある成長がゴールではなく数字が結果になってしまう。
そしてそれは教師たちのせいなのだろうか。
待てない、待たない親たちが自分がどのように育ててきたかは問わずに
教師たちを追い込んでできるようにしなくちゃならないという焦りの中で
教育の本質を見失った教師を生み出したのではないかなと悲しくなる。
そして心に不安と焦りを抱えた教師たちを救える手段はないのだろうか。
そして子どもを持つ親たちを社会全体がサポートしているのだろうか。
豊かな国日本で豊かな心がきちんと育っているのだろうか。
宿題に追われる子どもになんとかクラスのみんなについてけるようにしてあげたい
と一生けん命なお母さんは彼女につきっきりでそれをやらせている。
重い負担の毎日なんだな、彼女はもう私のところへは来ない。
抱きしめてあげることすらもうできなくなっちゃったんだなと思うとつらいな。
フォニックスがいえた日のあの輝く笑顔の素晴らしさを失わないでほしいと
願うばかりです。
どうすることがベストなのか時々途方にくれるときがあります。
Posted by sakura at 06:40│Comments(4)
│こんな私です
この記事へのコメント
私も同じことを感じることがあります。
最近、余裕がなくなってる方が多いなぁ。。と。。
特に習い事は1日で結果が出ませんからね…
せめて、「1年は待ってください!と言いたくなりますよね☆
「愛されてる」ということを感じることで、その中で「自分らしさ」を発揮していけるのだと思います。
子どもと信頼関係を築くだけでも、かなりの時間がかかるもの・・・
ゆっくりと、一緒に成長を見守り、喜び合える。。。
そんな関係を保護者の方と結んでいけたら最高ですよね♪
最近、余裕がなくなってる方が多いなぁ。。と。。
特に習い事は1日で結果が出ませんからね…
せめて、「1年は待ってください!と言いたくなりますよね☆
「愛されてる」ということを感じることで、その中で「自分らしさ」を発揮していけるのだと思います。
子どもと信頼関係を築くだけでも、かなりの時間がかかるもの・・・
ゆっくりと、一緒に成長を見守り、喜び合える。。。
そんな関係を保護者の方と結んでいけたら最高ですよね♪
Posted by sinamon at 2008年05月08日 06:55
すぐに要領よくこなせる人と、不器用な人の差って出ますよね。子供なら特に顕著だと思うんです。親も先生も、子供との信頼関係とか成り立ってたら気づいてあげられると思うんですよ。
sakura先生が気づいてるように、その2年生の子の先生も早く気がつくといいですね。
sakura先生が気づいてるように、その2年生の子の先生も早く気がつくといいですね。
Posted by mai
at 2008年05月08日 07:56

本当に、途方にくれるという気もち、分かるような気がします。
先生たちが余裕がなくなってきているというのは事実です。でも多くの先生が、本当は子ども一人ひとりをじっくり見て、可能性を引き出してあげたい。ゆっくりな成長を見守って支えてあげたいと思っているのではないかなと思います。
でも、今回の学習指導要領の改訂の動きからも見られるように、それに拍車をかけようとしていますよね。子どもも先生もこれでは、ますます圧力をかけられて余裕がなくなっていくばかりではないかと思います。
それと親の資質の変容。子どもの幼児期間における親の育て方の変化。
挙げればきりがありませんが、このままでは確実に子どもたちの人格は破壊される一方じゃないかな。。
時間のゆとりは心のゆとり。親も先生もたくさんの心のゆとりを持って、教材研究がしっかりできて、おおらかに子どもを育てることのできる学校環境になってもらいたいなと思います。
先生たちが余裕がなくなってきているというのは事実です。でも多くの先生が、本当は子ども一人ひとりをじっくり見て、可能性を引き出してあげたい。ゆっくりな成長を見守って支えてあげたいと思っているのではないかなと思います。
でも、今回の学習指導要領の改訂の動きからも見られるように、それに拍車をかけようとしていますよね。子どもも先生もこれでは、ますます圧力をかけられて余裕がなくなっていくばかりではないかと思います。
それと親の資質の変容。子どもの幼児期間における親の育て方の変化。
挙げればきりがありませんが、このままでは確実に子どもたちの人格は破壊される一方じゃないかな。。
時間のゆとりは心のゆとり。親も先生もたくさんの心のゆとりを持って、教材研究がしっかりできて、おおらかに子どもを育てることのできる学校環境になってもらいたいなと思います。
Posted by kaokao at 2008年05月08日 10:28
sinamonさん>
言葉を作るレッスンでは一年といわず数年長い目で見守っていただけたら嬉しく思います。決して甘えているのではなく人と人として結びついていくから子どもたちも自分の力以上に頑張ってくれたりする。そういうことがコミュニケーションのスキルになったりもするからです。難しいなと思ったりしますが子どもたちのためにやっぱり頑張りたいと思います。
maiさん>
誰にも誰かを責めたりできないけれど互いにいろんなことに気づける、気付かせる人間関係があればいいのになぁと思います。保護者と私、学校と地域、いろんなつながりの中で。
kaokaoさん>
子どもたちに言う心のゆとりや豊かさをわが身に課していかないとどんどん心が追い詰められていきそうになるときがあります。
せめて自分は澄んだ心で受け入れてあげられるようにと決心して挑まないと容易に流されてしまいます。みんな精一杯努力しているのに時代は違う方に流れていきそうで何やら危機感を覚えてしまいます。学校の先生たちは私以上に大変なんだろうなと思います。
言葉を作るレッスンでは一年といわず数年長い目で見守っていただけたら嬉しく思います。決して甘えているのではなく人と人として結びついていくから子どもたちも自分の力以上に頑張ってくれたりする。そういうことがコミュニケーションのスキルになったりもするからです。難しいなと思ったりしますが子どもたちのためにやっぱり頑張りたいと思います。
maiさん>
誰にも誰かを責めたりできないけれど互いにいろんなことに気づける、気付かせる人間関係があればいいのになぁと思います。保護者と私、学校と地域、いろんなつながりの中で。
kaokaoさん>
子どもたちに言う心のゆとりや豊かさをわが身に課していかないとどんどん心が追い詰められていきそうになるときがあります。
せめて自分は澄んだ心で受け入れてあげられるようにと決心して挑まないと容易に流されてしまいます。みんな精一杯努力しているのに時代は違う方に流れていきそうで何やら危機感を覚えてしまいます。学校の先生たちは私以上に大変なんだろうなと思います。
Posted by sakura
at 2008年05月08日 15:54
